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個展まであと1ヶ月!(資本論について)

  • 執筆者の写真: Emiko Ishida
    Emiko Ishida
  • 2018年4月12日
  • 読了時間: 5分

更新日:2021年12月9日

【個展まであと1ヶ月!を切りました。あと24日】

カールマルクスの本を、ここのところずっと読み進めてきました。具体的には「経済学・哲学草稿」と「資本論」を。はっきり言って難しくて、電車の中の睡眠導入剤と化す日も結構ありました。「人間は類的存在である…」とか、こんな感じの言葉が多くて何が書いてあるんだかサッパリ分からないので、解説書も何冊か読みました。

私は、新卒以来ずっと労働について悩み続けてきました。悩みすぎというか、苦に感じすぎというか、仕事を楽しんでいる人の方が多いと思うので、私みたいな人は変わっているかもしれません。多かれ少なかれ労働につきまとう悩みは誰にでもあると思うので、そこを皆さんと共有して共に考えられたら良いのではないかと思います。

私について言うと、仕事をして楽しい日も勿論ありました。過去を振り返って労働のイメージを大まかに語ると、働いても働いても充実感は得られない時期の方が長かったと思います。上司に喜んでもらえた記憶は殆どなく、常に劣等感に苛まされていました。「こんな馬鹿はどこかに消えろ」「馬鹿は辞めろ」誰の声でもない自分の声が常に頭でこだましている感じでした。実力不足との認識から、補うために常に勉強もしていましたが、仕事をして、心は満たされるどころか、絞り切った雑巾からこれでもかとさらに水滴を搾り取られるような感覚が常でした。充実感を感じる日があったとしても一年にほんの数日。もうお金はいいから、全てから解放されたい、とよく思っていました。

私は上記の有様を、自分が女性だからだと分析してきました。競争には興味がないのに、男性の多いの職場で男性に競争をふっかけられる、その防御策に命を張っていた感じだったからです。また、私がここまで経済的自立にこだわって辞めずにハードに働き続けるのは、私の生い立ちに原因があると思ってきました。(これはそうかも・・。)経済力を付けることは自由を得ることだと信じてきました。とにかく、組織内での心地悪さの原因は全て個人的事象に起因するものと思い込んできました。

今回、カール・マルクスの著書と出会ったお陰で、私は長年抱えてきた人生の壮大なビックテーマに大きなターニングポイントを迎えることになりました。

マルクスは、資本主義について最も論理的に分析したと言われる哲学者・経済学者です。頭が良過ぎて、論理的過ぎて、「スゴイ」の一言。

マルクスは「動物としての人類」というスケールで労働を捉えています。私が抱えてきた問題は個人的なことではなく、人類が抱える問題でもあったのです。

動物や昆虫は、生活そのものが生命維持活動とぴったりと密着しています。動物の一種である人類も全ては生命維持のために生活しているのですが、人間はちょっと違う。出産育児は直接的ですが、子育てにはお金がかかるわけで、お金を得るために、企業(社会)に属し、モノを作り、モノを売買し、給料を得…、動物や昆虫とは桁違いに間接的で複雑化していて分離しています。人類という動物だけが、特殊なルールのもとに生きているというのです。マルクスは、そもそも労働は動物的に人間に合っていないものだと言っています。確かに…。ものすごい納得感と共に、私の悩みの半分は解決がつきました。だから、産後の子育てが反動的にものすごい充実感を感じられた理由も分かりました。

残りの半分は、企業がいかにして利益を生み出すのか、儲けのメカニズムを知ったことにあります。会社の利益は、利益分を原価に上乗せして商品を売っているから利益が生じるのではないと言っており、大量生産と分業による効率化、更に言うと、従業員一人一人の汗水垂らす汗こそが利益の源であるということ、これには驚愕しました。実際、意気込んで深夜残業をしたところで、残業代を計算するとこれっぽっち?という額に驚きます。給料は据え置きで、従業員を死なぬよう生かさぬようギリギリ使い込んで、何人分も働いてもらって人件費を浮かせている事実を身をもって体験してきました。これが利益の大元であることを知りました。マルクスはこれを「搾取」と呼んでいます。

また、分業により、自分が行った仕事は自分の手を離れ、企業に帰属し全てを奪っていってしまう、これをマルクスは「疎外された労働」という言葉を使って説明しています。実際はこんな一言ではなく、もっともっと丁寧に細かく説明している訳ですが、頑張って何かを作っても自分の身には何も残らず、企業が全てを吸い取っていくというのが産業の仕組みです。頑張った分だけ、労働者の精神はスカスカになり、浮いた人件費は利益になり、いずれは資本に組み込まれていきます。マルクスの時代からだいぶ経った今は、従業員の人権や立場は見直され、有給休暇がもらえたり昇給したりという待遇も付いてきましたが。

以上の2点は私が人生において抱えてきた苦悩の補足的な回答となりました。

自分の置かれた状況を客観的に理解できるようになると、物事の受け取り方が変わってくるものです。今までの「搾取」について、誇りを持てるようになりました。(搾取されたばかりではなく、対価として十分な給料が与えられる今の時代に生まれてラッキーだとも感じています。)

現在こうして豊かに暮らしていられるのは過去の先人たちの成した労働の蓄積があるからです。その恩恵に授かり、飢えることなく暖かい場所で豊かな暮らしができています。私はたくさんたくさん「搾取」されてきました。私が流してきた汗や涙は企業の中に埋もれ、行方が分からなくなってはいますが、私の片鱗は企業の資本になっているはずです。(私は産前、搾取の塊である資本管理を担当させて頂いておりました!)そして、それはいずれは未来の国力へと繋がり循環します。

今回の作品はたくさん枯れ葉を描きました。自分の姿でもあり、人々の姿として描きました。資本主義社会に生まれ、逃げられないシステムの中で生きていかざるを得ない私たち。搾取されるのが当たり前のシステムの中、中には命さえ落としてしまう人もいます。資本主義を楽しむ人々もいらっしゃいますが。

一人一人の頑張りに、ただただ誇りを感じています。

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